法学ヨタ話
グレーゾーン金利とは(06年9月28日) by 管理人
アイフル違法の疑い
数日前、朝日新聞の一面に、アイフルがグレーゾーン金利を行っており、違法の疑いがあるという見出しがでかでかと載っていました。消費者金融についてよく知らない方でもサラ金業者がえげつないことをしていたんだろうということは理解していただけると思います。この事件について、何が問題なのかについて、軽く解説させていただきたいと思います。1.金利が制限される理由
近代国家では私的自治の原則が認められていて、基本的に商売は自由です。国家は特別な理由がない限り、私人間の経済的やり取りに口出しをしてはいけません。だから、金利をいくらに設定するのかは、サラ金業者と、金を借りる人との自由な契約によって決めるのが原則です。しかし、金を借りる人は切羽詰った人が多く、冷静な判断力を失っている場合が多いんです。そうでなくても多くの一般人は、金利だけみてもどれだけ借金が上乗せされるのかわかりません。その為、よくわからないまま契約して想像以上の利子の増加に後悔するというケースがよくあります。また、小指のないオジサンたちに圧力をかけられて、しぶしぶお金を借ざるをえなくなるという場合も少なくありません。これでは消費者が金利の設定に十分納得して契約したとはいえませんよね。これは、一方的な契約です。
形式上は自由意思に基づく契約だからといって高金利を無制限に許したら、サラ金業者による消費者いじめがおこります。判断力の乏しい消費者をターゲットにして、借金を重ねさせ、甘い汁を吸い取るという悪質な商売がまかり通ってしまいます。そいういった事態を防ぐため、極端な高金利は禁止しようという考えが生まれました。そうしてできあがったのが、出資法や利息制限法です。
2.出資法
出資法(出資の受入れ、預り金及び金利等の取締りに関する法律)は、悪質なサラ金業者から消費者を守るために生まれた法律です。出資法は、金利の上限を定めており、それを越えると刑罰を科すという非常に厳しい規範です。この上限は、社会状況を考慮して変化します。現在は、29.20%となっています。3.利息制限法
利息制限法も、悪質なサラ金業者から消費者を保護するための法律ですが、出資法と違い、罰則がありません。金利が一定の上限を超えるときは、その超過分の契約が無効で、支払う義務がないと定めているだけです。利息制限法における金利の上限は、出資法よりも低く設定されています。上限は、金額によって変わってきます。表にすると、こんな感じです。融資金額 | 出資法の金利 | 利息制限法の金利 |
10万未満 | 29.20% | 20% |
10万超〜100万未満 | 18% | |
100万超 | 15% |
サラ金業者は、支払い期限になっても金を返してもらえなかった場合、いわゆる延滞料金として、遅延利息を課すことが認められています。利息制限法では、この遅延利息は、上の表にある制限利息の1.46倍までと定められています。ですので、支払いが遅れた場合の金利の上限は、こんな感じになります。
融資金額 | 出資法の金利 | 利息制限法の金利 |
10万未満 | 29.20% | 29.20%(20×1.46) |
10万超〜100万未満 | 26.28%(18×1.46) | |
100万超 | 21.90%(15×1.46) |
4.二重の上限とグレーゾーン
4−1.グレーゾーンこのように、出資法と利息制限法では、金利の上限が異なります。出資法は、その上限を越えると、刑罰の対象となります。一方、利息制限法は、その上限を越えても、消費者が超過分を無効にできるだけで、サラ金業者はなんら罰をうけることはありません。その為、出資法の上限を超えない範囲内で、利息制限法の上限を超える金利の設定をするサラ金業者がいるんです。この出資法の上限と利息制限法の上限の間の金利をグレーゾーン金利といいます。
4−2.国民の認識
グレーゾーン金利で契約した場合、利息制限法の上限を超える分については、支払わなくてもいいんですが、多くの消費者はそれを知りません。今年行われた国民生活センターの調査では、9割の多重債務者がグレーゾーン金利の超過分を支払う義務がないことをしらなかったという結果が示されています。つまり、サラ金業者は、消費者の無知を利用して、利息制限法の上限を超える高金利で契約を続けているんです。アイフルもこれをやっていたわけです。そして、アイフルは違法という認識はなかったとコメントしているんですね。
5.借金の末路
5−1.自殺・家族崩壊国民生活センターの調査結果で、借金が生活に与えた影響に対する回答が印象的でした。最も多かった回答が、「自殺を考えた」で35%、そのうち、「実際に自殺を試みた人」が2.1%もいました。多重債務者は全国に150万人〜200万人いるといわれていますから、約70万人が借金で自殺を考え、約4万人が自殺を試みたことになります。
その他にも「家族崩壊を招いた」22.6%、「子供が退学した、進学を断念した」1.7%、「自宅を手放した」11.1%などの回答があり、借金の末路がいかに悲惨なものであるかを物語っています。特に子供を進学させられなかったというのは、切ないですよね。自分が苦るしむだけならまだしも、前途ある子供の未来まで奪ってしまったというのは、親として相当辛いことだと思います。家族・友人まで巻き込んでしまうのは悲しすぎる。
5−2.心の弱さと借金地獄
借金地獄に陥ったのは自業自得であるというのは、確かにその通りです。しかし、駄目な方向へと落ちてゆく人間をより加速させるような今の社会状況に私は不満を感じざるを得ません。人間誰しも弱い心をもっていて、誘惑に負けてしまったり、いい加減になってしったりする時があります。それにつけこんだ金儲けが堂々とできてしまうような今のシステムでは、いけないと思うんです。企業が利益を追求するのは資本主義における当然の原理なのですから、企業が合法的に利益追求した結果として、多重債務を促進させてしまう今のシステムでは、企業ががんばれば、がんばるほど、人生を狂わす人間が増えてしまいます。
人間の心は弱い。借金で自殺なんていう悲劇を起こさせないためには、弱さに負けて駄目な方向に行ってしまうのを止めてくれるパターナリズム的なシステムがもっと必要だと思うんです。また、困ったときにすぐ相談できる法律相談の充実を図ることも必要だと感じます。法律相談は敷居が高すぎるために、相談できず、そのまま深みにはまってゆくというケースもみうけられますから。借金による悲劇の起こらない社会が訪れることを切に願います。
裁判員制度(9月25日) by 管理人
裁判員制度とは、一般の市民が裁判員となり、刑事裁判に参加する制度である。裁判員は、有権者の中から無作為に選ばれる。裁判員は、裁判官と共に、有罪か無罪かの判断、刑の種類・重さの判断を行う。1.目的
@裁判に、国民の社会常識を反映させる。(国民の一般常識から外れた判決を抑制できる)
A司法の透明化を図る。
(裁判の内容を一般市民に理解させるため、裁判は必然的にわかりやすいものとなる。それにより、市民は司法がおかしなことしていないかよく監視でようになる。)
B裁判にかかる時間を短縮する。
(一般の市民を長期間拘束することは困難であるため、必然的に裁判の迅速化が図られる。)
2.あつかう事件
裁判員が参加する裁判は、刑事裁判の第一審のみであり、その対象事件も法定刑の重い犯罪に関するものに限定されている。(あつかう事件を、社会的に関心の高い事件に限定したのは、国民の負担と国家予算を軽減するためである。)
3.人数構成
人数構成は、原則として、裁判官3人、裁判員6人である。ただし、被告人が起訴事実を認めている場合は裁判官1人、裁判員4人という形も選択できる。4.判決
有罪か無罪かの判断、刑の種類・重さの判断は、多数決によって決定される。ただし、裁判員のみ、または裁判官のみによる多数で決定はできない。少なくとも裁判官1人、裁判員1人の賛成が必要である。5.重すぎる国民の義務
5−1.出頭義務裁判員候補者に選ばれると、呼出しに応じる義務が生じる。正当な理由なく、出頭しない場合は、10万円以下の過料に処される。
裁判員に選任されると、会社を休まざるをえなくなる。それにより、昇進や給料の面で不利益をこうむる可能性がある。裁判員に「不利益な取扱いをしてはならない。」と定めているが、ボーナスの低下や昇進を遅らせる等の不利益は、裁判員選任による休職が原因となっているかの判断が難しいため、実質的に救済は不可能である。
6−2.守秘義務
裁判員は、職務上知り得た秘密を漏らしてはならない。これに違反した場合、6ヶ月以下の懲役又は50万円以下の罰金に処される。この義務は、裁判終了後も一生にわたって負うことになる。
職務上知りえた秘密とは、他人のプライバシーに関わる情報など他人に知られたくないような情報を指し、公判の内容などの情報については、秘密にする必要はない。だが、国民は、公開してもよい証拠と非公開の証拠の区別が困難であり、守秘義務に刑罰を伴わせるのは、国民の負担が重すぎるとの批判がある。
また、現代の高度情報化社会において、裁判における秘密が漏れることを防ぐのは現実的に難しく、インターネットなどを通じて簡単に情報が流されてしまう恐れもある。
Web拍手レス
祝就職決定&10000hit!!どちらもおめでとうございます.by nekomakura
遅レスですみません。ありがとうございます。真面目な法学サイトっぽい、ギャグサイトをめざしてがんばろうと思います。
最近ふつ〜の日記っすっよ。もっと過激なのクダサイ。こ・・・このコワッパめ!!
お主の魂胆はわかっているでござる。この私を陥れようというのだな。法学サイトにするために、血のにじむ思いで、変態ネタを自粛してきたというのに・・・。素を出してしまえと誘惑し、このサイトを自滅させようとしているに違いない。
そんな誘惑には負けてたまるか。もう22歳にもなって、変態ネタなんてやるわけにはいかないんだ。
じょ、女子高生の写真でないかぃ??!!11@orz(;´Д`)女子高生ハァハァ
.-、 _ ヽ、メ、〉 r〜〜ー-、__ ____________ ∠イ\) ムヘ._ ノ | ⊥_ ┣=レヘ、_ 了 | え−−い、制服などいいっ! -‐''「 _  ̄`' ┐ ム _..-┴へ < | |r、  ̄ ̄`l Uヽ レ⌒', ヽ. | パンツを出せっ!パンツをっ! (三 |`iー、 | ト、_ソ } ヽ | | |`'ー、_ `'ー-‐' .イ `、  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | | `ー、 ∠.-ヽ ', __l___l____ l`lー‐'´____l. |  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| .| | || |__.. -‐イ || | ノ/ |
実体法と手続法(9月23日) by 管理人
1.実体法と手続法
法の分類方法として、実体法と手続法の区別がある。実体法とは、権利義務の実体(発生・変更・消滅)を規定する法のことである。手続法は、その権利義務を実現するための手続を定めたものである。大まかな区分では、憲法、民法、刑法、商法などが実体法に、民事訴訟法、民事執行法、破産法、刑事訴訟法などが手続法に分類される。ただし、実体法とされる法典の中に手続法が、手続法とされる法典の中に実体法が混ざっていることもある。(例:民法は実体法に分類されるが、その中の法人の設立手続きに関する規定は、手続法である。また、民事訴訟法は手続法だが、その中の訴訟費用の負担に関する規定は、実体法である。)
2.歴史的沿革
かつて、法と道徳は未分化であった。権利義務の実体は、道徳・宗教・慣習といった主観的であいまい(不明確)な社会規範に基づき、決定されていた。その後、法が道徳や宗教といった他の社会規範と分化されるようになると、法によって認められた権利・義務の存在が重要視されるようになった。そして、権利義務を定義する実体法が重要な意義をもつようになった。3.実体法と手続法の違い
3−1.遡及効実体法は、改正されとしてもその効果は改正後にしか及ばない。改正前にさかのぼって適用されることはない(法律不訴求の原理)。これは、一度獲得した権利はできる限り尊重すべしとする考え(概得権不可侵の原理)が根底になっている。一方、手続法が改正された場合は、改正前に遡って適用されることもある。
3−2.訴訟を起こす力
訴訟を起こすには、手続法に従った手続を踏む必要がある。それが成されなければ、たとえ実定法で認められた権利義務であっても、それを法的に実現することはできない。したがって、適用できる手続法がなければ、訴訟は起こせない。一方、実体法は、適用できるものがなくとも、手続法に基づいて訴訟を起こすことがでれば、慣習・判例・条理などの不文法を根拠に権利を主張できる。
3−3.優先関係
手続法は実体法に従属的である為、実体法と手続法が抵触するときは、実体法が優先する。現代における法の中心は、実体法であり、手続法は実体法の権利義務を実現するための補助的な役割を担っている。
4.まとめ
実体法が現代法の中心となっているが、実体法の権利義務関係を公正に決定する上で、手続法はなくてはならない存在である。例えば、手続法に不備があり、刑事裁判の手続において自白の強要を許したとすれば、実体法がいかに完備されていたとしても公正な裁判は実現できない。手続法によって公正な手続が保証されて初めて、実体法の目的を実現することができるのである。したがって、実体法と手続法は相互に補完関係にあるといえる。民事裁判と刑事裁判の関係(9月21日) by 管理人
3.民事裁判と刑事裁判の関係
民事裁判は、主に私人間の紛争を解決する裁判です。これは、権利が侵害されたと感じた人(原告)が、侵害したと思われる人(被告)に損害賠償などの義務を負わせてくれ、と裁判所に訴えることによって始まります。刑事裁判は、犯罪を犯した疑いのある人が、有罪か無罪か、有罪だとすればどのような刑罰を科すのかを審議する裁判です。国家の代表たる検察官が、犯罪を犯した疑いのある人に刑罰を科してくれと、裁判所に公訴を提起することによって始まります。3−1.適用される成文法の違い
民事裁判では、実体法として民法や商法、手続法として民事訴訟法などが適用される。一方、刑事裁判では、実体法として刑法、手続法として刑事訴訟法などが適用される。
3−2.不文法(文字で書かれていない法)の適用に関する違い
刑事裁判では、罪刑法定主義がとられているので、あらかじめ成文法に規定のない事項に関しては、いかなる行為も処罰されません。つまり、成文法のみが法源となります。これは、裁判官による恣意的な権力濫用を抑制し、国民の予測可能性を確保するためです。刑罰は人権を剥奪する非常に危険なものであるため、刑事裁判では、裁判官の恣意の混入を民事裁判以上に固く禁止しているのです。これに対して、民事裁判では,成文法だけでなく補充的に不文法も適応されます。これは、より柔軟性のある、社会的に妥当な結論を導くためです。民事裁判において法の欠缺(当てはまる法がないこと)を理由に裁判を拒んでしまうと、原告が一方的に不利になってしまいます。
3−3.事実審の回数の違い
どのような事実があったかを確定する事実審は、民事裁判では第二審までですが、刑事裁判では第一審のみとされています。刑事裁判で、事実審が一審のみの理由は、早い段階で行われた審理の方が、なまの事実に即した裁判ができるという利点があるからです。
3−4.民事裁判と刑事裁判の関係
民事裁判と刑事裁判は、その役割が異なるので、同一の事件でも、別々に取り扱われます。例えば、殺人未遂で人に怪我をさせたという一つの事件でも、民事裁判と刑事裁判の両方が行われます。民事裁判では、怪我をさせられたことについて、被害者の加害者に対する損害賠償請求が審議されます。刑事裁判では、検察官の被疑者(被告人)に対する刑罰請求が審議されます。それぞれ別の事柄をあつかっているので、民事裁判で損害賠償請求が認められても、刑事裁判では無罪になるということもあります。民事裁判は,私人間の紛争を解決し、私人の権利を保護する役割を担っています。一方、刑事裁判は、社会の秩序を維持し、公益を保護する役割を担っています。それぞれの裁判所の役割が異なるので、2つの裁判を別々に扱っているのです。
刑事裁判とは(9月20日) by 管理人
昨日の夕方、会社の研修から帰ってきました。戻ってきて早々、塾(バイト)で家に帰れたのは夜の11時半でした。そして、今日も明日も明後日も明々後日も塾です。ちなみに、研修では軍隊みたいな練習させられました。もうヘトヘトに疲れました。社会人になるのが恐ろしいです。編入論文添削室にご投稿くださった方々、ありがとうございました。せっかくご投稿いただいたのですが、これからまた塾なので、コメントが遅れます。明日にはつけれると思います。ご迷惑をおかけします。
2.刑事裁判
犯罪を行った疑いのある人が、@本当に犯罪を行ったのかどうか(有罪か無罪か)、A犯罪を行った(有罪)とすれば、どの程度の刑罰を科すのか(量刑)を決める裁判のこと。2−1.裁判の当事者
刑事裁判は、社会に害をもたらした(犯罪を行った)疑いのある者に対して、国家が起こす裁判である。犯罪は、被害者だけでなく、社会全体の秩序にも害を与える。その為、国家は、犯罪を抑制し、公益(社会全体の利益)を守るために、犯罪者を処罰してくれるよう、裁判所に訴えを起こすのである。
刑事裁判は、国家の代表たる検察官が裁判所に対して、「この被疑者(犯罪を犯した疑いのある者)を処罰してくれ」と公訴(検察官の被疑者に対する訴え)を提起することによって始まる。訴えを起こした検察官が原告となり、訴えられた被疑者は、被告となる。
被告は、法律の素人である為、そのまま裁判したのでは、一方的に不利な状態に陥り、公正な裁判ができない。その為、被告は法律の専門家である弁護士をつけることができる。裁判官は、原告(検察官)、被告(被告人の代弁者たる弁護士)、それぞれの言い分をきき、中立的な立場で@有罪か無罪か、A有罪であればどの程度の罰を科すのか(量刑)を判断する。
2−2.適用される法
刑事裁判では、犯罪に関する法が適用される。具体的には、実体法として刑法、手続法として刑事訴訟法が適用される。刑法には、犯罪の定義とその犯罪に対する刑罰が定められている。刑事手続法には、刑事裁判の起こし方や、刑事裁判をする上でのルールが定められいる。
2−3.罪刑法定主義
罪刑法定主義とは、どのような行為が犯罪となり、それに対して、どのような刑罰が科されるのかについて、あらかじめ法律で定められていない限り、いかなる行為も処罰してはならないという考え方である。刑事裁判では、罪刑法定主義がとられており、どのような行為をしても、刑法で禁止されていなければ、刑罰を受けることはない。これは、国民の予測可能性を確保する為である。あらかじめ何が犯罪となるのか分かっていなければ、国民は、突然処罰される可能性におびえながら生活せざるを得なくなり、自由な活動を萎縮させてしまう。それを防ぐ為、刑事裁判では、あらかじめ法律で定めのない限り、いかなる行為も処罰しないという立場をとっているのである。^
民事裁判とは(9月14日) by 管理人
一般の国民が参加する裁判として、一番身近な裁判が民事裁判です。社会生活の中で揉め事が起きたり、会社に不満を覚えたときに、それらの問題を法的に解決してくれるのがこの裁判です。今日と明日にかけて、民事裁判と刑事裁判の違いについて説明したいと思います。1.民事裁判
主に、私人(国民)間での紛争を解決する裁判のこと。話し合いで解決できなかった時、裁判所に申し出れば、国家機関たる裁判所が中立的な立場でそれを解決してくれる。裁判所は、どちらにどのような権利・義務があるのかを明らかにし、強制的にそれを履行させる。私人が国家や公共団体などと利害衝突した際も、それぞれを対等な立場で扱い、中立的に判断を下す。1−1.裁判の当事者
民事裁判においては、原則的に、権利を主張する側(訴える側)が原告、義務を負わないと否定する側(訴えられる側)が被告となる。この利害対立でもめている両者を当事者という。被告が判決で下された義務を履行しない場合、原告は強制執行手続によって強制的に権利を確保することができる。
1−2.適用される法
民事裁判では、国民の生活関係上の法である私法が適用される。具体的には、実体法として民法や商法、手続法として民事訴訟法などがある。
1−3.当事者主義
民事裁判では、訴訟の主導権は、当事者にゆだねて、裁判官は中立的な立場で最小限の干渉をするという当事者主義がとられている。当事者がお互いに納得する形での紛争解決を重要視しているのだ。
1−4.自力救済の禁止
権利が侵害されたとしても、自己の判断にて力ずくで権利を回復することは原則的に禁止されている。例えば、盗まれた自分の自転車に乗っている人を見つけたとしても、その人から一方的に自転車を奪い返すことは、禁止されている。中古自転車としてその人が購入したものである可能性もあるし、よく似た別の自転車である可能性もあるからだ。(ちなみに、中古自転車としてその人が購入したものであった場合、購入した時に盗品だと知らなず、かつ、2年以上占有していれば、自転車はその人のものとなる。盗まれた人は、犯人が捕まった際に、犯人に対して民事上の損害賠償責任を追及するしかない。)自己の判断による権利の回復を認めると、このように誤った判断をしてしまう危険性や、強者による不当な権利回復(暴力団員に怪我をさせたという理由で、100万円を支払わせるなど)がなされてしまう危険性もある。その為、自力救済を禁止し、解決を裁判所にゆだねさせているのである。
公法と私法の区分(9月7日) by 管理人:sinp
編入試験の定番問題、公法と私法の区分についてかるく説明したいと思います。歴史的沿革
1.封建社会(区別の必要性:なし)封建社会では、公法と私法とは区別されていませんでした。個人の主体性は認められておらず、社会に従属するものと考えられていました。そのため、私人の問題も公的に処理されていました。
2.近代市民社会(区分の必要性:あり)
近代になると、市民の自由な意思に基づく契約が重視されるようになりました。近代市民社会は、自由主義・個人主義を基本とした社会で、私人の自由な社会活動が認められていました。そこでは、国家は個人の自由な社会活動の展開を保障するだけでよく、個人の社会活動には介入すべきではないという「夜警国家」の思想が主流となっていました。
近代市民社会では、私人の社会活動を保障する法の役割が大きくなった為、私法が重要な地位を占めるようになりました(近代市民社会における「私法の優位」)。そこで、国家が過剰に市民社会に介入してしまわないように、国家の仕事を規定する公法と市民の自由な経済活動を規定する私法とを区別する必要性が生まれました。
3.現代社会:資本主義の発達した社会(区別の必要性:薄い)
資本主義経済が発達するにつれ、公法と私法を区別する必要性は薄れていきます。資本主義が高度化するにつれ、資本家と労働者という2つの階級への分裂が明確となり、経済的強者である資本家が経済的弱者である労働者を支配しはじめるようになりました。それにより、貧富の差や失業、貧困と言った弊害が発生するようになりました。
その為、国家は私法の原則に修正を加え、個人の実質的自由・実質的平等の実現をはかるための法(社会法)をつくりだしました。これにより,公法と私法の境があいまいになり、その区別が難しくなりました。また、法制度の発達により、区別の必要性も失われてゆきました。
区別の方法
1.利益説これは、個人の利益を保護するものを私法,社会全体の利益を保護するものを公法とする説です。この説には、私益と公益を区別するのは困難であるという批判があります。例えば、刑法は社会秩序の維持という公益を保護する一方で、個人の生命・財産という私益をも保護する。また,相続法は,個人の財産的利益という私益を保護しています。また、相続法は、個人の財産的利益という私益を保護する一方で、社会組織の維持という公益をも保護しています。
2.主体説
これは、国家や公共団体との関係を規定するものを公法、個人と個人との関係を規定するものを私法とする説です。この説には、国家や公共団体が個人の資格で行う契約なども公法関係とされてしまうという批判があります。例えば、個人が市営バスを利用する場合は、私法の領域と考えられていますが、この場合も公法の領域とされてしまいます。
3.権力説
これは、権力服従の関係、不平等者間の関係を規律するものを公法、対等な立場で結ばれた法律関係、平等者間の法律関係を規律するものを私法とする説です。しかし,この説では,伝統的に公法に属すると考えられている国際法が私法に分類されてしまいます。また,一般に私法に属すると考えられている親族法の一部が公法となってしまいます。
この様に公法と私法の区分については争いがあり、未だ定説がありません。一般に、公法には,憲法、行政法、刑法、刑事訴訟法、民事訴訟法、国際法などが含まれ、私法には、民法、商法が含まれると考えられています。
で、意味あんの?
現在でもフランスやドイツなどの大陸法系諸国では、二次的裁判制度を採用しているので、裁判の管轄と適用する法を決定する上で、公法と私法の区別には大きな意味があります。しかし、現在の日本では、国家権力を制限する他の法制度が発達している為、区別の実益はあまりありません。私人間における憲法の人権保障(9月4日) by 管理人:sinp
昨日の夕方、入社試験を終え、秋田から戻ってきました。いじめは、人権保障の対象となるか?
1.無効力説(対象とならない):少数説憲法は、巨大な国家権力から国民を守るためのものです。私人間の問題を解決する為のものではありません。かつて、権力者が好き勝手に振舞っていた時代がありました。自分と考え方の違う人間を死刑にしたり、貧困状態の国民から税金を搾り取ったり、なんでもし放題でした。そのため、国民は、国家権力におびえながら生活せざるを得ませんでした。
圧迫された生活を強いられていた国民のルサンチマンはたまりにたまり、やがて市民革命という形で爆発しました。市民革命に成功した国民は、再び国家権力が暴走することを防ぐため、国家権力を縛るルールをつくりました。そして、国家からも侵害されな国民の権利・自由を定めました。それが憲法です。
つまり、憲法というのは、国家権力から国民の権利・自由を守るためのものなのです。憲法で規定されている権利・自由は、私人が公権力に対抗するためのものであって、私人に対抗するものでないのですから、私人間(国民と国民の間)の対立であるいじめの問題に、憲法は介入できないのです。これが無効説です。これに従えば、いじめは憲法上の保護の対象となりません。
2.直接適用説(対象となる)
産業革命後、資本主義経済が発達すると、貧富の差が激しくなり、国民の間に社会的強者と弱者の関係ができあがりました。大企業や労働組合、マス・メディアなど、巨大な社会的権力を持つ者が現れ、社会的弱者に対して過酷な労働を強いたり、好き勝手なことをするようになったんです。それにより、国家権力を制限するだけでは、国民の権利・自由を保護できない状況に陥りました。
そこで、憲法は、国家権力から国民の権利・自由を守るだけでなく、私人間の関係においても権利・自由を保障すべきだという考えが生まれました。そして、この憲法の人権規定を私人間にも直接適用して弱者を守るべきだというのが直接的適用説です。この説は、憲法は、そもそも自然法思想を背景として実定化したものなのだから、それはすべてを超越した価値をもち、私法・公法などといった領域にしばられることなく、すべての法領域に妥当するべきであるということも根拠としています。
しかし、この説にも問題があります。本来、市民社会は、私人同士が話し合い、権利・義務を定める私的自治を原則としています。ですが、直接適用を広く認めてしまうと、その基本原則である私的自治が害されてしまう恐れがあります。また、憲法の本来持つべき「国家からの自由」という性質を希薄にしてしまう恐れがあります。国家が私人の権利を守ることを口実として、私人の自由なやり取りに任せた方がいい領域にまで、介入してくるかもしれません。このように、直接的適用説も多くの問題を抱えています。
3.間接適用説(間接的に対象となる):通説
直接適用すると弊害が伴うので、法律に憲法の趣旨を託して間接的に適用しようというのがこの考え方です。間接的に適用することにより、直接適用の欠点を補いつつ、社会的弱者を守ることができるのです。
具体的には、憲法の人権規定の趣旨を「民法1条:公共の福祉」、「民法90条:公の秩序・善良な風俗」、「民法709条:不法行為」に取り込ませて、適用することになります。これで、「公法と私法の二元性」と「私的自治の原則」を尊重しながら、私人間の人権保障が可能になります。現在、この間接適用説が通説となっています。ですから、いじめは間接的に憲法の保護対象となります。
私的ごと
・これからバイトなので、夜に書きます。それでは。判例の拘束性(9月1日) by 管理人:sinp
先日、法の解釈について書いたんですが、判例の拘束性についてコメントしていなかったので補足します。・判決が変わると困る
もし、裁判所の判決が、毎回ころころ変わったらどう思いますか?どこまでがセーフでどこからがアウトなのか基準が分からなくなりますよね。つまり、国民の予測可能性が確保できなくなってしまいます。
基準があいまいだと、私人間で利害対立が生じた際、もめる原因になります。基準があれば、それに従って穏便に話し合いで解決することも可能ですが、基準がないと、お互いに基準はこうあるべきだと主張し合い、話し合いでの解決は難しくなってしまいます。話し合いで解決できないと、裁判所で白黒つけることになるんですが、それは訴える方にとっても、訴えられる方にとっても望ましくありません。裁判をすると、当事者双方とも時間を割かれる、金がかかるとった不利益をこうむるからです。裁判は、できればしない方がみんな穏便に暮らしていけるんです。
・判例が法になる
このような事態を避けるために、裁判官が変わっても、似通った事例に対しては同様の判決がなされるようになります。もともと、裁判官は客観的な基準で判断するのですから、誰が裁判官をやろうと理想上は同じ判決になるはずなんです。この判決の繰り返しによってできあがった判断基準を判例法といいます。アメリカやイギリスなどの英米法系諸国では、判例拘束性の原理が認められており、一度裁判所でなされた法解釈は法源となり、後の裁判において判断材料となります。多く繰り返された判例ほど、拘束力が強く、容易に判例を変更することはできません。
しかし、日本を含めた大陸法系諸国(ドイツ、フランスなど)では、判例拘束性の原理は認められていません。そのため、判例に法源としての地位はなく、判例に拘束される義務はありません。しかし、それはあくまでも形式上のことで、日本においても判例は拘束力をもっています。特に最高裁判例の拘束力は強大で、下級裁判所はほぼそれに従います。下位の裁判所で判例を変更したとしても、上位の裁判所でもとに戻されてしまいます。最高裁でも判例の変更には非常に慎重で、変更する場合は大法廷(最高裁長官を含む15人の裁判官全員で構成される[定則数9人])で審議しなければならないことになっています。慎重な理由は、先に述べたように、判例がころころかわると国民の予測可能性が確保できなくなり、法的安定性を失ってしまうからです。このように、一度なされた法解釈は、後の裁判における法解釈に大きな影響力を持つのです。
私的ごと
・nekomakuraさんから、お礼のコメントを頂きました。大変恐縮です。もし旅行かなにかで、新潟にいらした時は、お声をかけてくださいませ。VIP待遇でおもてなしいたします。・明日、秋田で入社試験があるので、2,3日留守にします。
・バシのネタについて。変体・キモイと罵りあうのは、僕らの愛情表現なのでごく自然なことなんですが、ネットでやると誤解を生む危険性があるので、過剰なのはできるだけ控える方向でいくことにしました。